World Financial Strategy

2012年 南米旅行の記録

2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...
2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選...

2012年3月。

9年間の義務教育の後、同じく9年間の高校、大学、大学院生活を経て社会に巣立とうとする直前、学生最後の思い出作りの卒業旅行の行き先として選んだのは、まさに日本から見て一番(距離的に)遠い南米でした。

いわゆる海外旅行の定番のアジアやヨーロッパは、その気になれば社会人になってからでも行くことができます。

 

ただ、南米は日本からほぼ丸24時間かかる圧倒的に遠い地であり、簡単には行くことができる場所ではありません。

4月からの就職先も決まっていて経済的にも精神的にも不安がないという、この幸せすぎる人生最後かもしれないフリーな3週間を有効活用しない手はありませんでした。

しかしながら、当時の私には到底この長期間に渡る南米旅行を行うための資金はありませんでした。

 

が、父に頼んだところ、あっさりと50万もの大金を貸してくれ、旅に出られる運びとなりました。

 

50万というと学生には物凄い大金であり、親から借金して遊び呆けるとは何事か!?と思われるかもしれませんが、私はむしろ親孝行だと思っています。

学生にとっては大金でも、社会人になればその程度の額は簡単に稼ぐことができる額であり、その50万を使って人生の中でもとびきりに貴重な経験を積むことができます。

 

これからの人生で「南米」を語るに際し、行ったことがなければ「南米は〜(書籍やネットの情報で有名な場所)がいいですよね、いつか行ってみたいです。」という、まったく経験を必要としない、誰でも口にできることしか述べられません。

しかし、行ったことがあれば「南米旅行に行った初日、世界一横幅の広い道路で真昼間に強盗に遭ったんですよ(笑)まさかそんなところで自分が被害に遭うとは夢にも思いませんでしたが、現地で流行の犯罪の手口を事前に調べておいたお陰で何も盗られずに済みました。」(実話)という、自分の言葉で自分の体験を語ることができます。

どちらがより相手の興味を引くでしょうか。

 

この旅の人生経験をもって、例えば営業をしている時にこの話題で盛り上がり、相手の興味を引いて結果的にビジネスにも良い影響が生まれれば、50万円という元手は簡単に回収できるでしょう。

さらに、この経験は元手を回収して終わりではなく一生残ります。

 

人によっては、学生最後の春休みをもバイトで終える方もいるでしょうが、私は絶対にそれだけはしたくありませんでした。

もちろん、これは就職までの休みの間、子の旅の資金を提供できるだけの経済的余裕のある家庭の話であって、家庭の経済状況が厳しければ家計を助けるためにバイトでも何でもするべきでしょう。

ですが、そうでなければ最後に残された貴重な時間を最大限有効活用するべきです。

 

私は父に依頼するにあたり、上記のような理由までは述べてはいませんが、恐らくは父はこのような考えをもって50万円の資金を貸してくれたものと思います。

以下は、私が3週間の旅程を終え、帰りの飛行機を待つペルーの首都リマのホルヘ・チャベス国際空港で書いた文章です。

 

「総集編」

 

南米を3週間巡る旅の全行程を終え、只今帰りの飛行機を待つためリマ市内から空港へ。

購入した3本のワインを含む土産を、今回の旅行で幾度となく着用した服を緩衝材に使用しパッキングする。

旅の終わりを実感する瞬間だ。

 

フライトは22:30だが、現在時刻はまだ18:50。

かなり余裕を持って空港に来たので、ここはひとつ、ゆっくり日記でも書いてみよう。

 

といっても各日の日記にそれぞれの記録の詳細を記してあるので、南米の旅を終えて大局的な感想を。

 

まず感想。

「日本がいかにおかしい国かが良く分かった。」

これまで、(主に旅好きの)人の話を聞いている中で「日本は変な国」というフレーズを聞いた。

正直なところ、単に様々な国を巡ってきた自分の経験を自慢したいがために、日本をあえて「変」と形容しているのではないか、とすら考えていたが、今それがよくわかる。

日本を端的に表すと“極めて機械的”ということになる。

電車やバスはほぼ確実に定刻通りに出発し、定刻通りに到着する。

そして、物やサービスを買う際に値段の交渉が無い。

システムが正常に稼働している時は非常に滑らかに動くが、一旦トラブルがあると非常に弱いように思う。

とはいっても、変ではあるが素晴らしい、誇るべきこと。

諸外国はいい意味で適当だが、それは住みやすくもあり、住みにくくもあり。

自分がその適当を提供する側では有り難くもあり、享受する側は困るもの。表裏一体とはこれぞまさに。

 

しかし、これまでの(海外含む)旅行とは比べ物にならないボリュームとスケールで、非常に大きな経験となった。

特に、現内定先の面接で「先進国だけではなくて途上国を見る経験も大事」と言われたが、その意味が今はっきりと分かった。

世界には今、日本では考えられない生活水準の国で溢れ返っている。

これからの市場はそこなのだ。汎用性の高い素材メーカーには、特に国境は関係ない。

また、そういった市場に参入するに際し、実際に自分がそれら途上国に行くにあたっても、やはりその生活を知っておくことは重要だろう。

 

旅にかかった費用は50万に迫る勢いだが、金では表せない、非常に価値ある有意義な経験となった。

恐らく、40~50くらいになった時の私からすれば、1,000万払ってでもこの若いフレッシュな体とともに3週間、南米を旅できれば、と願うだろう。

今回の旅を通じて感じたこととして、私の体力は想像以上に有り余っていることが挙げられる。

南米を旅する日本人と話をすると「空港泊やバスの車中泊の翌日は疲れが取れなくてあまり動けない」などという話をよく聞いたが、私は全くそんなことは無かった。

空港泊だろうが車中泊だろうが、翌日に数十キロ歩いたり、体力的にハードなマウンテンバイクツアーに参加したりなどは余裕。

とりあえず眠れさえすれば体力は全快まで回復するこの若い体で旅できたことを幸せに思う。

 

そしてこの旅は、数々の人々に助けられ(時に助け)、終えることができた。

この旅をする上で印象的だった人々と、その人に対するお礼の言葉をここで述べていきたい。

 

スペシャルサンクス

 

***

表記は

■名前(私との間柄)

その人に対するコメント

***

 

■S.T君(ブエノス別館で出会った2つ下の青年)

初日、ブエノス別館に入った時にまず出会った、2ヶ月間旅をしているという青年。

天研(名古屋大学天体研究会、私が入っていたサークルの略称)の後輩である番長(というあだ名の男)に外見、性格ともに激似で、何ともフレッシュさを感じない初対面であったwww

南極大陸やパタゴニアなど、私が行けていない場所の話を聞かせてもらうとともに、勝手がよくわからないブエノス別館のことを教えてもらって助かった。

卒業後は某大手製薬メーカーで営業をするとのこと。マジでがんばれw

 

■及川さん(ブエノス別館で出会った安城市民w)

年齢は30代。ご夫婦で1年間旅行をされているらしい。

安城市民ということで地元トークもでき、S.T君の最初の研修が愛知県内で行われるということで、ともに愛知県内のお勧めの店を紹介したりなどしたw

イグアスにて行えるちょっとした裏技を教えてくれたのはこの人。

非常に感じがいい人で、幸せそうな家庭が見てとれる感じだった。

共に空港泊も経験し、何かとブエノス滞在中には力を貸してくれた大変ありがたい方。また安城で会いたいものだ。

 

■ミシェリさん(サンタ・クルスで空港から市街へのミニバス内で会った人)

サンタ・クルスは当初観光する予定がなく、飛行機の遅延によって急遽観光することになったため、全く情報がないところをいろいろ案内してくれた親切な方。

空港のスタッフとして勤務されていただけあって、非常に綺麗な英語を話すペルー人の女性だった。

とにかく本当に助かった。サンタ・クルスの街を半日でとりあえず見たいところは全て網羅できたのは、この方のお陰である。

 

■ロドリゲス(仮)(サンタ・クルスにて、市内から空港へ送ってくれたタクシーの運ちゃん)

非常に陽気な性格で、南米旅行中で印象に残るタクシードライバーNo.1。

果実が4つ降ってきてヒビが入ったというフロントガラスに加え、クソ性能なワイパーでスコールの道を運転する猛者。

「スコールでよく見えなくて、危険だから運賃は高くなるw」と、先述のミシェリさんが交渉してくれた額からアップすることを要求してきたが、客を危険に晒したのだからむしろ安くするべきだろうwwwww

とはいえ、面白かったので自分からボられてあげた。その額、最初の額は60ボリなのに100ボリ!約2倍!(100ボリ≒1,200円なので大したことはないが)

 

■Mさん(天研の先輩)

ラ・パスにて合流した、同行者その1。

天研内でも特に顔の広いネットワークを活かして、過去に南米へ行った人からの情報を様々に提供していただいた。

他にも、素晴らしいクスコの宿に関する情報もゲットしていただいて、素晴らしいクスコライフが送れた。

 

■K(天研の同期)

ラ・パスにて合流した、同行者その2。

主に出発前、同行中のスケジュールの軸を決定してくれた人。

旅行中はいつもの感じで時折萎えさせてくれたが(笑)、まあそれくらいの方がこっちも人を心配しなくて済むのでありがたかったw

 

■名前不明1w(ラ・パスのバスターミナルで会った日本人)

ラ・パスの市内で頻発しているという偽警官の被害に遭ってしまわれたらしい。

被害の詳細を語って頂き、以前から手口は知っていたものの、一層の警戒を怠らないように再確認させられた。

 

■名前不明2w(クスコの宿で出会ったマチュピチュツアーのおっちゃん)

同行者と私3人のために、朝7時に起きて並ぶなどの体力勝負で、無事マチュピチュツアーを組んでくれたおっちゃん。

自分たちでやったら1日くらいかかりそうな仕事をやってくれた、大変ありがたい人だった。

 

■あつしさん(ウユニリベンジにて出会った、愛知県民)

“あつし”と言えばまず脂肪に満ち溢れた腹が思い浮かぶ私に、旅慣れしたイケメン旅行者の印象を植え付けた偉大な方。

ウユニリベンジにて共にチャーターで巡った方で、翌々日(この日記を書いている時点で昨日)偶然ラ・パス市内で遭遇。

ボリビアーノが宿代を払うのに足りず、かといって両替屋も閉まってしまった時刻ということで、支払いはまけてもらうか、ドルとボリビアーノを併用して支払うか…と悩んでいた矢先、飯をおごってくれた上、キャッシングで軽やかにボリビアーノを調達し、両替してくれた神。

結局、宿代の支払いでトラブることもなくサクッと終わり、順調に旅を続けられた。

また、化学メーカーの子会社の営業をやっていたということで、化学メーカーについてもちょっとお話を聞けたり。

また名古屋で会おうと言ってくれた。是非ともお会いしたい!

 

■ジョニー(ウユニリベンジでチャーターした運ちゃん)

ジョニー理論(私が命名)で納得出来るまで、最高のビュースポットを探してくれた神ドライバー。

糞ドライバーだと、ちょっとふらっと言ったら「No agua…(訳:水が無い…)」と言って諦めるドライバーもいるが、ジョニーは徹底的に最高の場所を見つけるまで粘ってくれた。

ほぼ乾季の光景のウユニ塩湖を1時間以上突き進み、最高の星空とそれが湖面に映る様を見せてくれた時には心から感謝した。

 

■LASTさん(バイト先の先輩)

旅には資金が必要不可欠、ということで、その足しにする資金を得るため始めた、名駅で弁当を販売するバイト先の先輩。

非常に短い期間ではあったものの、何かと非常にお世話になった。

駅内を自由に動くために必要な許可証の動きを記録する帳簿があるのだが、そこへのサインが知らなければ読めるはずがないミミズサインで非常に面白かったw

 

■くそでぶ(天研の後輩)

同じくバイト先関係。そんでもって、バイト先では先輩。

というわけでいろいろバイト中は世話になったし迷惑もかけた。

腹のためにも、君は私の土産を食べない方がいいだろう。

 

■P(天研の後輩)

恥ずかしながら、昨年までウユニ塩湖の存在を知らなかった私に、いつだったか話をしていてその存在を知らしめた、この旅行を企画するにあたっての影の功労者w知らなかったら当然行けるはずがなかったw

本人もウユニ塩湖にかなり行きたがっており、是非行ったらいいと思う。

 

■CaptainJackさん(スマブラの知り合い)

世界各国を飛び回っているスマブラーで、旅慣れしている方。

自己紹介HPにあるアフリカ大陸縦断旅行記の持ち物準備編にて、貴重品の取り扱いについて書かれており、アフリカほどではないが治安の悪い南米を旅するにあたって非常に参考になった。

今回私は同様に、ズボンの裏側に貴重品袋を引っ掛けて吊るす方式を採用し、幸いにもそれが活きるような危機には陥らなかったものの、やはりその安定感は偉大で、安心して旅行できた。

 

■祖母(母方の祖母)

旅にあたって、ちょっと前に会った時に小遣いをくれたのみならず、出発直前にはさらに300USドルをプレゼントしてくれた神としか言いようがない祖母。

また、革工芸が趣味で、私に財布を作ってくれており、初めて作ってもらったものはカード入れの部分が破れてしまっているものの、その他の部分は何ら問題がないため、海外旅行におけるメイン財布となって大いに活躍してくれている。

余談だが、普段日本国内で使っている財布もこの祖母が作ってくれたものである^^ありがとう^^

 

■母(実母)

基本的に心配性で、ちょっと怖いツアーに参加しようとしたら激しく「絶対やめろ!」と言ってくるが、軽やかにスルーして参加wどうもご心配ありがとうございます。

そして旅にあたっての資金を一部貸してもらった。

また、ロンドン旅行からのインターバルが1日しかなくて厳しいところを、何とか必要な服はすべて洗濯して用意してくれた。感謝。

さらに、旅行中大活躍した三脚を貸してくれた。そして旅行中、脚の先のゴムが1つ取れてしまった。ごめんなさい。

 

■父(実父)

もう何も言うことは無い、旅の基本であり、かつ最重要である経済面で助けてくれた、言うまでもなく最重要人物。

「南米に行きたいから資金を貸して欲しい」などと言って貸してくれるのは、当然ながら世界中探しても父しかいないだろう。

50万近くかかるクソ高い南米の旅の費用を貸してくれた、ただただ感謝すべき相手。

さらに資金のみならず、必要なザックの調達もしてやる(退職後に山登りする時に必要だから丁度いいらしいw)といって用意してくれたり、D60を貸してくれたりと、旅を行うにあたってお世話になりまくった。

私も将来親となったら、子供には最大限の投資をして旅の経験をさせたいと強く思わされた。

そう思わせるほどの“旅”の価値を理解し、惜しみなく手助けをしてくれた恩は必ず返したい。

この旅のちょっとした経験が、今後仕事をするにあたってもちょっとした差に繋がり、結果として恩を返せると思う。

 

 

というわけで、ここに書いた人以外にも、様々な人の協力があった初めて成立した素晴らしい旅だった。

これまでやってきたのは“旅行”で、初めて“旅”らしいことができたと思う。

いやー楽しかった。そしてエネルギッシュな状態で、4月の新生活を迎えられそうだ。

今から帰りのフライトがあるが、無事帰国できることを切に願う。

 

2012年3月23日

リマ ホルヘ・チャベス国際空港にて

WFS記事下レスポンシブ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
トップへ戻る