2012年3月、大学院の修士課程を卒業して、いよいよ社会に飛び立つという直前の最後の春休み、「最後のモラトリアムを満喫しよう」ということで選んだのが南米への旅でした。
私の人生でもっとも楽しかった旅の記録を、当時の興奮・感動がそのまま焼きついた、旅行中に執筆した文章をそのままに公開いたします。
楽しいことはもちろん、今となっては笑い話ともいえる失敗談まで包み隠さず書いています。
なお、当時の文章をそのまま公開する都合上、時制は2012年3月当時であり、かつ私も24歳と若かったため、若さが垣間見える場面は少なからずあろうかと思いますがご了承ください。
22日目。帰国途中、アメリカで猛烈にストレスを溜めて、翌日を悲劇を招くことなるトランジットの日です。時差の関係で一瞬で終わる1日でしたw
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2012年3月24日
今日はトランジットのみ、時差の関係で超短い1日w
アメリカのニューヨークの空港EWRにいた3時間強のみ。
ダメリカの入国審査はクソ遅く、並ぶ場所が特に遅い審査官のところで、クソ時間がかかった。
列に並んだのはそう遅くはなかったはずだが、私は最後の1人に近いレベルだった。マジで死ね。クソが。
マジでイライラしていたので、審査官にも無愛想に接して、荷物をピックアップ。
トイレに行った時も本当にイライラしていたので、壁を蹴るなど物に当たってしまった。
そして税関。適当に通過。
荷物のリチェック。ここでも激しく適当にザックをブン投げてトレーに入れられてむかつく。
瓶が入ってんだぞ中には。死ねダメリカ。
そして、飛行機搭乗前のチェックもやたらムカついた。
私だけ他の人の列から一旦外され、手の平を軽く布のようなもので拭かれ、機械に通されるなどのこともあった。あれは何だ?
血液型、さらにはDNAの採取?腹立たしい。
本当にイライラするクソ空港だった。
ここまで乱暴な書き方の日記になるのも無理はないくらい。
そして、コーラと熱々の巨大サンドイッチみたいなやつで11.75ドルというクソ高い朝~昼食をとり、日記執筆などを飛行機を待ちながら行う。
ここではデスロード編を書いた。
搭乗時刻になり、列が掃けるのを見てから悠々とパソコンを片付けて乗り込み。今(帰りのニューヨーク→成田の便の、そろそろ日本領空に差し掛かる頃。まだ樺太上空くらいかな?)に至る。
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